フランチャイズの歴史

フランチャイズ・ビジネスの歴史

社会にイノベーションをもたらしたフランチャイズ・ビジネス。その歴史はアメリカで始まったと言われており、起源は1850年代「シンガー社」にあるとされています。どのように生まれ、発展してきたのか。その歴史について解説します。

 

フランチャイズ・ビジネスはアメリカで発祥した

現在のフランチャイズシステムの起源となるビジネスモデルは、19世紀にアメリカで誕生しました。1850年代のアメリカでミシンを製造していたシンガー社によるものと言われています。直営店によって販売網を広げるのではなく、契約によって代理店にミシンの販売権を与え、販売実績に応じてその対価を受け取るという方式で販売網を広げていきました。

この伝統的なフランチャイズシステム(traditional or product distribution franchising)とはメーカーが製品を流通させるために契約によって代理店を募り、独占的販売店を与えることでした。コカ・コーラ社に代表されるボトラーシステム、ガソリン、自動車産業などが代表例です。この伝統的フランチャイズシステムは、工場で大量生産された商票品を対象にして、流通ルートを開拓することが目的でした。従って、商標ライセンス型フランチャイズシステムと呼ばれることもあり、アメリカでは現在も巨大産業として地位を保っています。ただし、日本ではこのタイプをフランチャイズとは呼んでおりません。

日本でもフランチャイズと呼ばれている現在のフランチャイズシステム(Business Format Franchising)が誕生したのは第2次世界大戦後のアメリカであり、その代表例がケンタッキーフライドチキンとマクドナルドです。

ケンタッキーフライドチキンは1956年にカーネル・サンダースによって創業されました。当初は彼が経営していたレストランの主力商品だったフライド・チキンの調理器具や調味料を他のレストランに購入してもらい、販売数量に応じてロイヤルティを受け取るシステムでした。やがて、独立した店舗での販売をテストした結果、評判がよかったためチェーン展開を進め、1960年には200店舗、1963年には600店舗を展開するまでになりました。

マクドナルドは1937年にマクドナルド兄弟によって始まりました。その後レイ・クロックがこのビジネスの将来性に気づき経営に参画、1955年にフランチャイズ1号店をオープンしました。それまでのフランチャイズシステムはトレーニングや設備の整備などがメインで、開店後のサポートはほとんどされずに店舗ごとの統一感が無いチェーン店が多いものでした。レイ・クロックは開店後のノウハウ提供やサポートなど長期的な経営支援を実施し、その結果マクドナルドは1959年には100店舗、1961年には228店舗を展開するまでになりました。

日本での展開

フランチャイズシステムの導入

日本でフランチャイズが導入されたのは、1963年(昭和38年)のダスキンと不二家が最初と言われています。ダスキンは、各種の道具を使って会社や工場からほこりを除去するダストコントロール事業を母体として同年に設立されました。創業者の鈴木清一氏がアメリカやカナダを訪問してフランチャイズシステムを学び、ダストコントロール事業に導入しました。ただし、当時はフランチャイズという言葉は使われていませんでした。

一方の不二家の創業は明治43年です。1963年時点ではすでに直営店を150店舗運営している状況でしたが、アメリカのレストランチェーンを習いフランチャイズ展開に乗り出しています。同社の場合は、飲食店も展開していたものの、一番の目的がメーカーとして販売チャネルを増やすことに置いていたのが大きな特徴となっています。

この2社に続いて、1965年(昭和40年)に白洋舎、1966年(昭和41年)に養老乃瀧などがフランチャイジー1号店を出店しています。

1969年(昭和44年)には第2次資本自由化によりレストラン業は100%資本自由化となったこともあり、1970年(昭和45年)にはミスタードーナッツやケンタッキーフライドチキン(以下、KFC)、1971年(昭和46年)にはマクドナルドが続々登場しました。ミスタードーナッツやKFCは1971年(昭和46年)に、マクドナルドは1976年(昭和51年)にそれぞれフランチャイズ1号店を出店しています。

KFCは三菱商事と米KFCの合弁事業として発足しましたが、当初は日本市場に馴染まない要素がありました。特に出店戦略に関しては、アメリカでの郊外立地を踏襲していましたが、日本の事情に合わせて繁華街立地に修正した結果、チェーン展開がスムーズになり1973年(昭和48年)には早くも100店舗を達成しております。ミスタードーナッツはダスキンと米ミスタードーナッツがジョイントして設立したものです。ドーナッツは早くから日本人の口に親しまれていたこともあり、チェーン展開も順調に推移していき、1974年(昭和49年)に100店舗を達成しています。

イノベーション

これまで見てきた通り日本のフランチャイズシステムは、初期の頃は外食業を中心に発展してきていますが、イノベーションという意味ではマクドナルドを差し置いて語ることはできません。日本マクドナルドは米マクドナルドと藤田商店の共同出資会社として発足しました。特筆すべきは、第1号店が銀座4丁目の日本最高級デパート三越の1階、そして客席のないオールテイクアウト方式という前代未聞の出店形態です。M字型の派手な看板、スピーディな調理技術など、それまでの日本にはなかったスタイルの店舗で強烈な印象を消費者に与えました。この第1号店で東京中はもちろん、全国に知られる存在となりました。フランチャイズ出店には5年かかっていますが、この型破りの出店戦略がその後のフランチャイズ展開を容易にしたと言えます。

現在、日本でのフランチャイズ店舗売上で4割以上のシェアを誇るコンビニエンスストア業態では、セブンイレブン1974年(昭和49年)にセブンイレブンが、1978年(昭和53年)にファミリーマートがそれぞれFC1号店を出店しています。特にイノベーションという意味では、セブンイレブンがフランチャイズシステムに与えた影響が大きくなっております。

セブンイレブンは、イトーヨーカ堂が㈱ヨークセブンを設立し、全米で4,500店のセブンイレブンを展開していたサウスランド社とエリアサービス及びライセンス契約を結び発足しました。当時は大手スーパー各社が出店競争を繰り広げていたことに加え、商店街や小売店の反発を受けていずれは出店規制がかかるだろうという懸念から、各社とも新規事業を検討していた時期でした。この時期に登場したセブンイレブンは、中小小売店経営の近代化・活性化と大型店との共存共栄の実現を目指し、国内の実情を踏まえた本格的なフランチャイズ方式の確立に注力しました。詳しくは第8章で説明しますが、資本力に乏しい中小小売店を組織化して、大型店に負けないサプライチェーンを構築しました。そして、多頻度小口配送により在庫を最小限度にして、店内の商品数を多くすることで、大型店にない近さや利便性によって消費者を引きつけました。その結果、1号店出店の翌年には67店舗、その翌年には200店舗と他のコンビニエンスストアエンスストアを引き離す圧倒的なスピードでチェーン展開を進めていきました。

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